岸見アドラー心理学 - 幸せになるための超実践的心理学 -

「嫌われる勇気」を始めて読んだのは、多分大学生後半の頃だと思う。

 

意外とするする読める「対話形式」。青年と先生の会話が交互に繰り返される。

 

あまりの一般的感覚と乖離した心理学の主張に、驚きと反発を隠せない青年。

 

そこに共感しつつも、読み進めるほどにあっけなくアドラー心理学の主張に飲み込まれていく不思議な感覚がある。

 

そしてその心理学の内容。端的にいえば、幸福になるための心理学であり、極めて実践的な内容である。

 

「幸福とは、貢献感である」と定義され、「他者に貢献できているという感覚こそが、幸福につながる」のだと説いている。

 

そして、我々の多くが求めてしまっている「承認欲求」は完全に否定されてしまっている。承認されることで得られる満足感は、本来の幸せではないというのだ、と。

 

確かに、承認欲求を求め続けることは、「他人の人生」を生きることになりかねない。

 

本書のテーマにある「共同体感覚」。人生の悩みはすべて「対人関係の悩み」だと序盤で言い放っており、すべての人間関係を「縦」ではなく「横」で捉えるよう強く説得される。上下関係で対人関係を捉えてはいけないというのだ。

 

さらに、対人関係の悩みを解決する方法は、自分の問題は自分の問題、他人の問題は他人の問題。その境界を明瞭にすること、だという。

 

実際に文章内にも登場するが、「ニーバーの祈り」的な内容である。

 

つまり、「変えられるものを変え、変えられないものには労力をさかない。そしてその境界を見誤らないようにする。」ことを言っていると考えられる。

 

すると前半に登場する考え方にも納得がいくようになる。それは、「目的論」である。

 

アドラー心理学では、フロイト心理学的な「原因論」を徹底的に否定し「目的論」的立場を重視しているようだ。

 

例えば、なにか嫌なことがあって、怒りを感じ、怒鳴り散らしたとする。原因論的な立場なら、嫌なことがあったから怒り、怒鳴り散らしたと考える。が、しかし、なんとアドラー心理学のとる目的論では、「怒鳴り散らすために、怒りという感情を呼び起こした」と考えるのだ!!!

 

確かに、こう考えることで、自分の感情をコントロールする余地が生まれる。つまり「変えることのできるもの」の範囲が広くなる。

 

原因論的な考え方では、「怒鳴ったのは仕方がない、原因は自分にはコントロールできないことだったのだから」となる。しかし目的論の立場をとれば、怒るかどうかは自分次第だっのではないか、怒りという感情を持ち出さない方法があったのではないか、と考えさせられる。

 

総じて、非常に「実践的」である。

 

 

変えることのできるものに最大の焦点を当て、それを変える勇気を持つことを重視する。さらに、変えることのできるものと変えることのできないものの区別をする際に、目的論的立場をとることで「変えることのできる」ことの範囲を拡大している。他人との関係を「横」で捉え、他人の問題は他人の問題と割り切ることの重要性も教えられる。

 

 

 

まだ、内容は自分の中でまとまり切らないが、こうして書き出していろいろと分かってきて整理されてきた。

 

そして、最後は、「いま、ここ」に焦点を当てることの重要性について語っている。

 

つまり、過去も未来も見えないくらい、「いま、ここ」にスポットライトを当てよ!というのだ。

 

これもまさに、「過去も未来も「変えることができない」ものだから」だと思う。一般的な感覚では、「未来を変える」ことはできると思うのだが、それは「今を変えることで間接的に変わる」わけであり、直接的に変えることはできない。(過去も変えられないが、本書では、「過去に対する認識」は変えることができるとも述べられている。これも、「いま、ここ」のことだろう。

 

自分が変えることのできる「いま、ここ」に集中することが大事なのだと。今流行りのマインドフルネスのキーワードもまさに「いま、ここに集中する」である。

 

 

多くの自己啓発本を読んできたが、この本を読んで、さらにこうしてまとめ記事を作ることでいたった境地がある。

 

 

「ニーバーの祈り」に感動した人は多いと思うし、自分もそうなのだが、結局のところこれを超える格言はないのだ、ということだ。

 

 

「いま、ここ」こそ変えることができる最たるものであり、最大の焦点を当てるべきだ。

 

変えることのできない、「今の自分」は受容する。

変えることのできない過去でも、過去への認識は変えることができる。

対人関係の悩みも、他人の問題は変えることができないと諦める。自分の問題は自分で変えていく。

 

そして、「幸福」は、未来にあるのではなく、「いま、ここ」にあるのだ。「共同体感覚」を備え、「他人に貢献している感覚」こそが幸福そのものであり、重視すべきなのだ。

 

 

この記事が、誰かの役に立つと信じて、終わりにしようと思う。